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全国盆踊り
お盆の行事 その5
送り盆の行事 2


盆踊りを訪ねる旅で出逢った、様々な盆行事。

その中でも驚かされ、そして感動させられたのが、
集落の人々が力をあわせて送る「送り」の行事です。

ほとばしる荒々しさ。 背筋も凍る恐ろしさ。 心洗われるしめやかさ。

楽しかったお盆の終わりの、一抹の寂しさ。

そして無事今年のお盆も終わったという、どこか「ほっ」とする気持ち。

日本人が育んできた多彩な感覚と感情が一挙に交錯する「送り」。
だからこそ、その行事はひときわ美しく、また感動的です。

「送り」の伝統を残す土地では、盆踊りの魅力もまた一層高まります。


◆"ムラの盆"としての送り行事

現代の都会で暮らす私たちには想像もつかないようなお盆の行事を伝える地域も少なくありません。とりわけ印象的なのが、集落のみんなで送る"ムラの盆"としての送り行事です。

お盆の三ケ日に入ると、集落の人々が行列して新盆の家を一軒づつ訪問し、念仏踊りや盆踊りで供養をしていきます。最終日の「送り盆」の最後に、行列は村境や河原などの境界に向かい、そこで切子灯籠を燃やすといった「精霊送り」の儀礼が行われます。終わった後は後ろを振り向かずに急いで戻るという共通の伝承が聞かれます。

こうした「送り」の行事は、かつて全国に広く見られたものでした。土地により時代によって少しづつ形を変えながらも、いまなお多くの集落でこうした文化が守られています。

以下では、有名・無名のさまざまな「送り」の行事を訪ねて見ましょう。

■新野の「踊り神送り」 (長野県下伊那郡阿南町新野)


 お盆の行事といっても、しめやかなものばかりではありません。長野県阿南
 町新野の「踊り神送り」では、その荒々しさに驚かされました。



盆踊りの最終日、8月17日の明け方。

踊りがたけなわの中、新精霊の宿る美しい切子灯籠が、踊り櫓のまわりから外されていきます。櫓の下では、行者が「市神様」に和讃をあげて、「踊り神送り」が始まります。

 

 市神様和讃

 東西静まれお静まれ  静めて小唄をお出しやれ 
  市神様へひと踊り    四角四面でよいお庭 
            (中 略)
  あし毛の駒に手綱つけ 弥陀の浄土へ 早よ急げ
  末を申さばまだ長い   おいとま申していざ帰る


新盆の家の子どもたちが切子灯籠を担いで歩き出すと、行列はいったん盆踊り会場を離れて、通りの外れの「太子堂」へと移動。ここで和讃をあげた後、「ナンマイダンボ」の声に先導された行列は、ふたたび踊り会場へと突入していきます。

会場では、最後の踊り「能登」が続いています。
しかし、行列が通り過ぎた地点は、もう踊りを踊ることは許されません。まだ踊り続けたい若者たちと、前に進もうとする行列の間で、荒々しくも激しいせめぎ合いが演じられます。興奮と歓声につつまれる通り。しかし最後には全員が行列に加わって、村はずれの瑞光院へと向かいます(写真@)。

瑞光院門前の広場に積み上げられた切子灯籠。
行者が九字切りの秘法を修し、やにわに刀を抜くとバッサリ切り払います。「ドンッ」と鳴り響く、悪魔祓いの鉄砲。そして炎につつまれていく切子灯籠の山(写真A)。夏空に昇っていく煙を見届けて、踊り神送りは終わります。


  「踊り神送りの式がすむと、人々は秋唄を唄いながら、うしろを振り向かないでもと
  来た道を帰る。振り向くと悪い神がとりつくという」

                 「信州新野の盆踊りと諸行事」(新野高原盆踊りの会)より


こうした禁忌も、いまは昔ほど強くは意識されてないようです。それでもみんな寄り道もせず、伝統の「秋唄」を唄いながら家路につきました(写真B)。
@村境へ向かう切子灯籠 A門前で切子灯籠を燃やす B秋唄を唄いながら家路につく
 <いずれも07.08.17 長野県阿南町新野>
■田峯の「送り」 (愛知県北設楽郡設楽町田峯)

    山深い集落の送り行事では、背筋の凍るような体験もしました。

愛知県北設楽郡設楽町田峯。
田峯観音の念仏踊りは有名ですが、ほかにもいくつかの集落が古い盆行事や踊りを伝えています。02年の夏、二十数名の住民で念仏踊りを守る小集落を訪れました。
8月13〜15日には念仏踊りの一行が新盆の家を訪問し、最終日の16日は神社で踊った後、最後の「送り」行事となります。

日が落ち、恐ろしいほどの闇につつまれた田峯。
諏訪神社前の辻で、若者たちが最後のハネコミ(太鼓踊り)を踊ります。脇には中老衆が切子灯籠を捧げ、笛・鉦・音頭取りが並びます(写真@)。勇壮な踊りを見守る集落の人たち。もちろん観光客の姿はありません。

最後の踊りが終わるか終わらないかという、その瞬間。切子灯籠がサッと翻って方向を転換すると、素早い足取りで歩き始めました。踊り手や囃し手がただちに後を追い、集落の人たちも続きます。暗い山中の一本道を黙々と進む、足早な行列。急ピッチな鉦の音が緊迫感を高めます(写真A)。

7〜800mも歩いたでしょうか。
到着したのは、村境の沢のようです。その場に行列を待たせると、中老衆数名が橋を渡っていきます。対岸(すなわち彼岸)では、何やら送りの秘儀が行われている様子。静寂の中、固唾を呑んで見守ります。

やがて中老衆たちは橋の中程まで戻ってくると、そこで切子灯籠に火をつけ、おもむろに投げ落としました。最後の煌きを放ちつつ、闇の中へ吸い込まれていく切子灯籠の美しさ…。
 
 
 フリ向クナヨー、フリ向クナヨー

 オ精霊サンガツイテキテモ、知ランゾー

 
地の底から聞こえてくるような声がします。

ハッと気がつくと、さっきまで周りにいたはずの集落の人々が居ません。送りの光景に魅入られていたため、みんながいま来た道を戻って行ったのに気がつかなかったのです。警告を発しつつ、脇を通り過ぎて行く踊り手の若者達。目深に笠を被り、闇の中に白っぽく浮かびあがる彼らの姿は、まるで「お精霊さん」そのもの。

ゾッとする寒気が、背筋に走ります。あわてて反転すると、先を急ぐ人々の後を足を速めて追いかけました。知識としては知っていたはずの「振り向くな」の話。そのほんとうの怖さを、身にしみて教えられた気分でした。

長い長い山道が終わり、やっとの思いで諏訪神社にたどりつきました。
重箱を持った女性が立っていて、戻ってきた人に何か配っています。手のひらに乗せてくれたのは、米の粉でつくった小さなお団子(写真B)。米の霊力への信仰です。これを食べて死穢を払うと、ようやく一連の「送り」の行事が終わりとなります。味のない団子を噛み締め噛み締め、やっと人ごごちのついた思いでした。
@諏訪神社前での念仏踊り
A山路を急ぐ送りの行列 Bいただいた米のお団子
 <いずれも02.08.16 愛知県設楽町田峯>
■水窪の「送り」 (静岡県磐田郡水窪町小畑地区)

 時代に応じて形を変えながら、「送り」の心を伝える地域も少なくありません。

静岡県水窪町は、いまも地区ごとに多くの念仏踊りが見られるところ。

03年に訪れた中心部の小畑地区もその一つです。8月16日の送り盆には、朝からたくさんの人が町裏の山を登り、墓参に向かう光景が見られました。帰省の家族も含めると、ふだんに倍する人々が町にあふれているようです。

夕方。初ソウリョウ(=新盆)の家々からは新盆提灯(=切子灯籠)の行列が出発し、町を練り歩いて次々と町営運動場に集結します。かつては念仏踊りの一行が新盆の家々を巡って供養していましたが、行事継承が困難になり、近年町営運動場での共同供養方式に変わったものです。

グラウンドを埋めつくす人。おそらく新盆の家の親族の方々を中心とするたくさんの人が、黒い喪服を着用しています(写真@)。見た目は現代風ですが、いまもお盆が死者供養の一環と捉えられていることを雄弁に語る光景です。

人口の多い町場だけに、新盆提灯も15〜6本はあるでしょうか。色とりどりの美しい提灯が年齢順に並べられ、お坊さんが読経・焼香を上げます。つづいて、小畑地区念仏踊保存会の若者数名による約30分の「練り込み念仏」(念仏踊り)となりました。踊りが終わる頃、新盆提灯がグラウンドを一周し、全員で行列して送りの場へと向かいます(写真A)。

送りの場は、水窪川の河原。お盆の供物などがすでに運び込まれています。
たくさんの人が見守る中、新盆提灯が河原に集結しました。「川施餓鬼供養」で有縁無縁の霊を供養した後、積み上げられた提灯に火がつけられ、送りの行事が終わります(写真B)。
解散した人々は特に後ろを気にすることもなく、夕闇迫る町へ三々五々戻っていきました。

夜半。人気の消えた町を歩くと、どの家の居間からも明かりが漏れ、お盆の再会を楽しむ人々の談笑の声が聞こえていました。


@町営運動場を埋めた人々 A水窪川へ向かう送りの行列 B切子灯籠を燃やして送る
<いずれも03.08.16 静岡県水窪町>
■大河内の「送り」(長野県下伊那郡天龍村大河内)

    真夏の高原の村で出逢った、深夜のしめやかな送り行事。


掛け踊り」の伝承で知られる、天龍村最奥部の大河内地区。
戸数30戸余りの小集落ですが、8月14日には新盆の家々を巡る念仏踊りがいまも行われています。

16日の「送り盆」。宴会で盛り上がる集会所の庭では、9時過ぎから盆踊りの輪ができました。夜も更けて、午前0時が近づく頃。人々は、村境に近い辻にある「お堂」(愛宕堂)へと移動します。

扉が開かれ、新盆の切子灯籠が立てかけられたお堂。掛け踊りの踊り手が「愛宕大神」「水神山の神」「秋葉大権現」などの小旗を持って整列し、それぞれの神仏の和讃を唱えていきます。これは「大念仏」「送り念仏」と呼ばれ、かつては集落にあるそれぞれのお堂を訪れて行っていたとのこと。神仏習合の信仰の姿が窺われます。

大念仏の後ろでは引き続き盆踊りが踊られていて、不思議な二重唱となっています(写真@)。やがて盆踊りは最後の曲「八幡」になりました。新盆のご家族でしょうか、おばあちゃんたちに混じってけなげに踊る小学生の姿。地域の教育力は、健在です。

そしていよいよ、お盆をしめくくるクライマックス「掛け踊り」です。
白いシデを菅笠の縁に垂らした踊り手が、小太鼓を叩きながら力強く踊ります。紅白の竹棒を振り払う「鳥差し」に、五色の紙で飾りつけた「ヤナギ」も登場(写真A)。深夜の高原に一瞬色鮮やかな光彩を放って、今年の掛け踊りが終わりました。

切子灯籠が担がれ、行列が動き出します。口々に「ナンマイダンボ」を唱えながら、「庚申様」(石塔群)の前まで移動。最後の和讃「花の四節」があげられ、送りの儀式はすべて終了です。
庚申様脇の小さな溝に切子灯籠が納められ、火がつけられました(写真B)。

お盆の終わりを告げる炎。少し物悲しさのともなう美しい光に、みんな黙って見とれていました。

@「お堂」の前の念仏と盆踊り A最後の掛け踊りの勇姿 Bお盆の終わりを告げる炎
<いずれも07.08.16-17 長野県天龍村>
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「動き」のあるダイナミックな儀礼性。イマジネーション豊かな演出。溢れる情感は時に荒々しく、時にしめやかです。基本のパターンは共通であっても、それぞれの「送り」行事はそれぞれの集落の歴史と風土を反映して、他では見られない独特の魅力と輝きを放っています。

庶民文化の結晶ともいうべき「送り」の文化。その輝きがいつまでも続くことを願ってやみません。
"最後に一度だけ"の踊り

3ヶ日のお盆の最終日、「送り」の行列が始まる直前。盆踊りの方でも、”その時ただ1回だけ踊る”という特別な踊りを踊るところがあります。

上で紹介した新野盆踊りの「能登」、大河内や向方の「八幡」などはその例です。静岡県・有東木盆踊りの「長刀踊り」、平野盆踊りの「綾踊り」なども、これに該当するものといえます。

少し視点を変えてみると、毎晩の踊りの最後に踊られるという意味では、岐阜県・郡上踊りの「まつさか」が有名です。また一晩に数ヶ所で踊る沖縄県・世冨慶エイサーのケースでは、一ヶ所の踊りの最後に踊られる「アヤグ節」も、似たようなポジションにあるといえます。なぜかいずれも、独特の雰囲気をともなう印象的な曲ばかりです。

これらの踊り曲は、やはり「送り」との関係で特別な意味や儀礼性を持つのではないかと考えられます。今後のいっそうの解明が期待されます。

(参考文献)
新野高原盆踊の会「阿南町郷土芸能調査報告書 信州新野の盆踊りと諸行事」、1979年
静岡県磐田郡水窪町教育委員会「水窪町の念仏踊」、1997年
天龍村誌編纂委員会「天龍村誌」鰍ャょうせい、2000年
天竜村教育委員会「大河内の民俗」(社)農村漁村文化協会、1971年
お盆入門 
お盆の行事 4
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