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◆「小町踊り」「七夕踊り」
小町踊りは、江戸時代の初めに少女達によって七夕に踊られたものです。一説では七夕の伝説にあやかって良縁を求める娘たちによって踊られたともいわれています。
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小町踊り
七夕から盆にかけて娘たちが踊った風流踊。一名「七夕踊」ともいわれ、正保から寛文
にかけて京都では特にはなやかに行われた。美しい染模様の衣装に鉢巻・襷(たすき)・挿頭をつけた七、八歳から十七、八歳の娘たちが房つきの団扇太鼓で拍子をとり、歌をうたいながら町を練り歩き、家々を訪問しては輪になって踊った。その踊り歌は『盆々ぼんは今日あすばかり、あしたは嫁のしおれ草』などである。享保ころにはすでにおとろえ、現在、長野県松本市の盆行事である「ぼんぼん」などに当時のなごりをうかがうことができる。 (「国史大辞典」) |
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| 盆踊りの視点からみると、小町踊りには興味深いいくつかの性格が見られます。 |
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| @「七夕」という時期 |
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旧暦の七夕は、お盆のはじまりの時期にあたります。このため「小町踊り(七夕踊り)」 には、15日前後の本来の盆踊りの「前哨戦」的な性格もあったのではないでしょうか。 |
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| A少女だけの踊り |
これはもちろん「子どもの行事」という七夕の性格と関係するのですが、それだけでは ありません。
五来重氏は、中世の踊り念仏の担い手のひとつ「白拍子」(遊女)と小町踊りの関係に注目しています(五来重「踊り念仏」平凡社)。
現在の盆踊り歌にも残る「数え歌」 は本来白拍子=遊女の文化であること、盆踊りの発生とも関係する近世初期の「歌舞伎踊り」は、白拍子的性格をもつ勧進巫女の念仏踊りが主役をつとめたことなどが指摘されており、盆踊りなどの民俗芸能に白拍子の文化が取り入れられる過程を示しています。 |

小町踊りとも関連する少女風流「ちゃっきらこ」(神奈川県三浦市) |
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| B踊りの形式 |
| 「町の練り歩き」「家を訪問」「輪踊り」といった踊りの形式は、広く見られる古いタイプの盆踊りに共通するものです。 |
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